愛の言葉に返事はいらない

楽しい予感のする方へ

舞台「青の炎」感想(ネタバレしかないバージョン)

・櫛森秀一(北村諒

 若くて優秀な自分への万能感という青さ。

基本的に彼の周りには殺害対象となる2人以外は良い人ばかりなので、彼に思いを寄せる紀子が気にかけて踏み込んでいく姿だったり、妹の遥香が家族で、皆で考える方が絶対良い知恵が浮かぶよと声をかける姿だったり、友人たちとの交流だったり。

踏みとどまれた瞬間は外から見ればいくらでもあったのに、彼は誰にも自身の苦悩も心情も自分以外に吐露しない。

「親切そうな振りして他人を見下してるのが見え見え」だと怒鳴りつけられるのを涼しい顔して聞いている、全くダメージを受けていないけれど、実際は言われてる通りの一面もあるんですよね。

だから手玉に取ってるようで取れていない紀子の行動に振り回されるし、全然自分の言う通りの行動をしない石岡によって上手くいくはずだった(と思い込んでいた)計画は破綻させられるし、ちょっとした言葉の綻びで紀子にも遥香にも自分のしたことを見抜かれてしまう。

 ある種の自滅、周りに自分の弱さを曝け出せないがための暴走。

その根源は確かに母と妹を守る事で一貫しているのだけれど、1度目は外敵の手から「どうしたら家族を守れるのか」だった台詞が、2度目は自分の行いにそのまま返ってくるのが皮肉すぎて悲しい。

後は曽根の時には殺意が燃え上がる起点となった場所が確かにあるのに、石岡の時にパチパチと爆ぜる火の粉の音が聞こえるのは殺害の瞬間だけなので、最終手段だった『殺人』が手段の一つになってしまった感があり、舞台では秀一の葛藤が少ない分そう短絡に考えるようになってしまった事により絶望する。

 秀一視点で進む物語で、彼と情報を共有している客席ではあるけれど彼より一歩外にいる傍観者でもあるので、彼の感情に寄り添うというよりはここで踏みとどまれたんじゃないか、あと一つ何かが違っていたら、と願わずにはいられないと言うか。

このifを考えてしまうのも、原作の秀一が繰り返した夢想のようで、この思考すら舞台と地続きで、一つの作品として完成させるためのピースの一つとすら思えてくる。

 きたむーさん、多分刀ステの初期作品振り? ぐらいに拝見したんですが、10代の青さ、クールな秀一の荒れ狂う感情、一方で起こる静かな変化の表現が的確かつ繊細で。

背中から伝わる殺意、脅迫者である石岡を自分の計画に乗せられたと確信した瞬間の笑み、紀子に背を向けて告げる嘘だ、とその会話で覚悟を決めた瞬間……言葉なしに伝わる感情がはっきりと鮮やか。

 

・福原紀子(飯窪春菜

 秀一にとっての想定外はその行動も、彼女の前でポロッとこぼしてしまった言葉とそれに気づかれてしまった事もだけど、一番は最後の決断に彼女の言葉が決め手になるぐらい大きな存在になった事なんだろうな。

初デート、で灯った炎は小さすぎてその後の青の炎に一度は焼き尽くされてしまったけれど、もっと早く彼女が愛しい、好きだと言えていたらと何度も繰り返す。

気遣いが空回りするところもあるけれど、彼女は彼女なりに精一杯の一生懸命でちゃんと秀一に向き合おうとしていて、だからこそ秀一が誰かに言ってほしいと願っていた一言が心からの願いとして口にできたのかもしれない。

届いてしまった、結果として彼の決意を固めてしまった事は彼女の望みでも何でもなかった事が切ない。

 真っ直ぐな瞳がすごく印象的で、嘘の証言をしたと語られる時にすっと秀一を見つめた後背を向けて戻っていくのも別れに泣き崩れた後涙声のまま語り部に戻る姿が目の力が強い分その揺らぎが悲しい。

舞台装置としての視線は内なる秀一でもあるならば、ちゃんと紀子ちゃんも紀子ちゃんとして秀一の中にいるのにな。

 

・石岡拓也(田中涼星)

 秀一とは違うタイプの、瞬間的に燃え上がる炎だけど持続性はあまりなさそうというか、長期的に影響を考える秀一と比べると短絡的というか。

その分余計にそういうところをうまくやってのけているように見える秀一はムカつくだろうなと思うし、また(家族を)やってみるかって上からの提案じゃなく親友としてただ親身になって話を聞いてもらうだけでも良かったんじゃないかな、と思う。

義父(もはや義父でもないけれど)と実際の血縁という違いはあれど、家庭に問題があるという共通項はあるので。

 脅迫する側、される側はやがて殺人者と被害者に反転するのだけれど、秀一に激昂して見せる姿とは真逆の、その計画にどんどん乗せられていく時の無邪気にすら感じる幼い笑顔は、家族への暴力を唆された1年生の事件がなければ変わらず向けられていたものなのかな、と思うと胸が苦しい。

結局秀一の中では誰も対等な存在じゃなかったんだな……。

(余談ですがここ、金はできたか確認(箱の上に立って秀一を見下ろす石岡)→詳細を説明し出す秀一(二人とも箱の上にしゃがみ込んで同じ高さ)→お前を庇い通すと宣言する秀一(箱に座り込む石岡とそれを見下ろす秀一)のパワーバランスの変化が視覚的にも魅せられてるの美しいな、と思う)

 秀一の視点で進むから石岡の考えていた事の全貌っていうのはわからないわけですけど、襲撃直前自分のナイフの刃を出して見つめる彼は何を思っていたんでしょうね。

ちょっとぐらいは殺人者である秀一を警戒していたのかな、とも思うけど最後に絞り出す、泣き出しそうな声のなんで……? は秀一の計画を信じきっていた感も強い。

警戒しながらも、まさか自分のことを殺すはずがないと秀一の良心を信じていたのかな。

 

 ところで大門を同じ役者に演じさせるの、予想はしてましたけど実際に目の当たりにすると温度差とギャップと演じ分けで、ご本人のファンとしてはめちゃくちゃに美味しいんですけど情緒めちゃくちゃになります。

弁護士の加納先生も演じているので*1、理知的で法律という武器は持っているがそれゆえに縛られて動けなくなる大人・穏やかで優しく人の良い少年・家族に愛されず反発し暴力にしか走れなかった少年がシームレスに切り替わっていく様ときたら。

 普段のご本人が一番近いのは圧倒的に大門くんですけど、私は推しの心の闇とか暗い感情とかを引き出す演技がピカイチだと思ってるので、今回の石岡くんのコンプレックス剥き出しに激昂するシーンとかめちゃくちゃに好きです。

 

 フルフェイスのヘルメットでも被ってくればバレないって秀一は言いますけど、いやスタイルでバレるわ……と思ったのはご愛嬌。

 

・櫛森遥香松永有紗

 可愛い!!!こんな妹、お兄ちゃんそりゃ過保護になる!!!!と納得の存在感。

でも可愛いだけじゃなくて、あれだけ曽根に怯えながらも「お母さんが一人になっちゃう」って心配して早く帰ってくるぐらい、ちゃんと自分で真実と向き合う事もできるぐらい強い子でもあるんですよね。

 重苦しい場面の多い舞台だけど、同級生たちとのシーンと遥香ちゃんとの日常のシーンがホッと息をつける癒しでした。

(同級生たちとの方は、後の同級生からすっと刺す視線に切り替わるところでまた貫かれるんですが)

 遥香ちゃんの「私にだけは本当の事教えて!」と山本警部補の「そんな良い友だちにこれ以上嘘を吐かせていいのか!?」が個人的には一番涙腺にくる。

秀一くんが見落としていたものを、突きつけられる瞬間。

 朗読になると凛々しいお声、インタビューでナイフの鞘を突きつけられる側から秀一に突きつける側への一瞬での切り替わりに震えます。

 

・櫛森友子(田中良子

 優しいけれど決して強くはないお母さん、それでも自分の力で子供たちは守ろうと精一杯だったんだろうな、と思う。

曽根が末期癌である事、お母さんは知ってたんですかね(弁護士への相談をもう少ししたら考える、と濁してる辺り)。

知っていてなんとか嵐をやり過ごそうとしていたならば、押し切られて弁護士を呼んだ結果、秀一が現状を目撃する事になったならやりきれなさすぎて苦いものが込み上げる。

「すべては暴走であり、不必要な努力だったのか」って秀一の言葉の重みがとんでもない事になる。

 お母さんの時はすごく穏やかで優しい、聞いていて安らぐような心地よさすら感じるお声が、朗読だと力強さすら感じるキリッとしたお声になるのに聞き惚れてしまう。

 

・曽根隆司(村田洋二郎)

 舞台版だと紗幕の向こうでお酒を飲む姿が後半(石岡刺殺後)の秀一と重なるのもあって、そもそもお母さんに友達が紹介するぐらいだし元々は優秀だったし人が良かった(それこそ石岡が語る秀一と同じ親切そうな振りだとしても)けど、なんらかの失敗で転がり落ち、悪知恵だけは働く人に成り下がったのかもしれないな、とその過去に思いを馳せたりしました。

いや何であろうとやってる事はクズですし、それこそ五頭竜のように反省したからって許されるものでもないんですけど。

 この舞台の兼ね役してる方皆に言えるんですけど、村田さんが一番あの朗らかな笑顔の店長と憎しみを一身に受ける曽根がイコールで結びつかなくて混乱するレベル。

原作にあった秀一との一触即発の場面があったらとんでもない恐ろしさだっただろうなぁと思うと、あれもこれも改めて舞台で観たくなる。

 

・山本英司(荒木健太朗)

 後半、怒涛に理論的にどんどん秀一を追い詰めていく役回り。

君にアリバイなんてない!! で初めて怒鳴りつけるけれど、その根幹にあるのがこれ以上良い友達に嘘をつかせても良いのか、だったり時間をほしいって言う秀一を認める事だったり。

原作の秀一は割と穿った見方をしている描写もあったけど、アラケンさんの演技では秀一がきちんと自首してくれる事、自殺などせず罪を償ってくれる事を指して「信頼」って言ってるんだなと。

決行した後でも、ギリギリまで秀一に差し出されていた手はあったのに、と思えるのは私がただの傍観者で、彼と家族が浴びることになるものを本当の意味では理解していないからだろうか。

 

 原作を読んでからどうするのか、と思っていたED。

走馬灯のように重なっていくいくつものセリフ、音、全てをつんざくブレーキ音、右に切られていたハンドル……。

 それ以外にも面のない、枠だけの白い箱(これ正式にはなんて呼ぶのが正しいんだろうと舞台99の頃から思ってます)をパズルのように、直近の場面だけでなくさらに先の場面のために動かして演者自身も移動して。

秀一が完全犯罪を成し遂げるために積み上げた数々のように、緻密に組まれて計算されたものはあまりにも美しく、そちらにもすっかり魅せられた。

 今日の千秋楽で物語がとじること、寂しくもどこかホッとした気持ちもある。

それでもあの鮮やかな白と青の世界を、忘れることはきっとないんでしょうね。

 

 

3日の昼夜公演が配信されてます(〜11月10日23時59分まで)

映像ではあの3面舞台の魅力ってどうなるのかな、と思っていましたが映像にする上でも計算・構築されているんだなと感じられましたのでお時間ありましたらぜひともご覧いただきたい。

www.confetti-web.com

 

*1:こっちはアラケンさんが演じられるとばかり思っていたので、公開稽古のお写真でお茶出してる姿に??って大混乱しました。実際そもそもはアラケンさんが演じられるご予定だったそうで納得