愛の言葉に返事はいらない

楽しい予感のする方へ

2022年を振り返って①

 年を明けてから振り返る推し事。

公演自体の感想、と言うより当時の自分の記憶の話をしてます。

 

1月 炎炎ノ消防隊 -破壊ノ華、想像ノ音-(大阪)

 2022年現場初めは、中止から始まりました。

まもなく開演いたします、のアナウンスも普通にかかっていて、開演ギリギリに来た方の座席への案内も行われていて。

何の素振りもなかったので、劇場に入る前に確認したTwitterでお知らせが何もなかったから安心しきって観劇する気しかなかったです。

私はこの時ちょうど客席サイド端、通路側の席にいたので開演時間にスタッフさんが横を通ったのも見ていました。

その方が舞台の前までたどり着いて、マイクを手にして振り返った瞬間、あ、と全てを悟りました。

 当時話題になったので覚えている方もいるかと思います、開演時間になっての、客席に皆座ったところでの公演中止発表。

明日以降がどうなるかもわからないまま、ただただよくわからないまま劇場から出されて帰路について。

次々に来る出演者の方のツイートに、誰がまだ更新来てないってヤキモキするのも犯人探しみたいで苦い気持ちを抱えたり。

深夜に翌日中止の発表は出たけども週末はどうなるかわからないな、とジリジリしながら待ったり。

思い返せばまだ胸が軋むけれど、それでも中止のアナウンスの後どうしよう、そうする事が正しいかわからない、けれど拍手しか思いを送る手段がない、と迷いながらも客席を包んだ音が届いていた事がせめてもの救いです。

 

2月 MANKAI STAGE A3! Troupe  LIVE WINTER 2022(東京)

 CD先行から本腰を入れて臨んで行きたいところは全部押さえてましたが、最終的に自分が座るはずだった座席すらわからないまま、チケットを手にする事も会場に向かう事もできませんでした。

ついに自分にも感染の波が襲いかかってきたので。(一応規程的には行けるんじゃないかとか諸々考えましたが何かあってもいけないし……結果的にこの頃も咳を引きずってたので。さらに悪化したりもしたのですが、それは3月にて)

 配信のみの参戦だと、作品によっては現場にいない悔しさの方が大きくなったり、当然なんですけど温度差というか、酷い時には疎外感すら覚えたりしてしまうのですが。

自分の心の持ち方の変化もあったのか、画面の向こう側にも届いた、届けてもらったなって思える素敵な公演でした。

この観劇予定が潰れた結果、未だに観えない席が多いと悪名高い立川を結果的に回避し続けております(フィルコレでは行きましたが)

 

3月 MANKAI MOVIE A3! AUTUMN &WINTER公開(舞台挨拶・東京)、シブツタイベント(東京)

 関係者感染による出演舞台の中止、私自身の感染、に続いて推しの感染による舞台挨拶登壇中止。

自分が感染後待機期間が終わって、陰性も出て社会復帰してもしばらくは通勤片道して職場にたどり着いただけで息が切れていたり、ずるずると咳が続いていたりしたのでせめて症状とか後遺症がひどくありませんように、と願うしかない日々。

そうこうしてるうちに自分も咳が悪化して、このままだと客席に座るだけでも迷惑かけてしまう、どうしよう、なんて頭抱えていたんですが推しが復帰しますツイート出した翌日にケロッと止まったのも衝撃でした。

復帰した後舞台挨拶が立て続けに入ってどんどん表に出る日が早くなる中、2日後にシブツタイベントがあるのにその直前の舞台挨拶で本当にお元気なのか自分の目で確かめたいという理由だけで反復横跳びしたりもしました。

 シブツタイベントではお互い元気で会えてよかった、とか言わせていただいたのですが本当(見える範囲では)後を引いている症状がなく快復されて何よりでした。

 

 事務所退所とフリーになる事が発表された月でもありましたが、個人的には年末ぐらいにはもしかして? と思っていたので予想外だったのは時期だけですね(イベントがあるので3月末までは所属なのだろうと思ったら2月にはすでに、という事だったので)。

仕方のない事ですが、推しの書かれる文章が好きなのでブログが消えてしまったのが今でも寂しい……。

こういう場合お名前を変えなきゃいけなかったり、他のSNSアカウントも一変するパターンもあるので諸々残った方ではあると思うのですが。

 

4月 チャンネル「涼星の惑星」始動、「ろくにんよれば町内会」放送開始

 旧FCを畳むお知らせもこの時期でしたね。

突然ファンネーム?(♯6で惑星配信を聞きに集まってくる皆、みたいな説明だったのでリスナーネームに変わったのでは疑惑が個人的にあり)が決まったり、宣材写真を選ぶという大役が降ってわいたり動揺から始まった初回でしたが、今まで作品についてのお話を聞く機会が毎年のBDイベントで1年まとめてって事が多かったので、定期的に話していただける場所が増えたのはありがたいし嬉しいですね。

 ろくまちは初回放送から何本かいらっしゃらなかったので正確には5月になるのですが。

YouTubeの回覧板更新と毎週の放送に公演が重なったりして供給過多!!!!ってなる日々もあります。

長く続いてって欲しいですね。

前に出してから時間が経ったので改めてこっちでも放送しませんか? のメールも局に認めたいところ。

 

5月 MANKAI STAGE A3! SPRING 2022(兵庫、香川)

 初めて行った劇場だったのですが、神戸国際会館様しか勝たん、になって帰ってきました。(大阪は東大阪市文化創造館様が立地を差し引いても最高)

劇場自体も観やすかったんですけど、規制退場とか休憩中とかのスタッフさんの注意事項アナウンスがユーモアに溢れててめちゃくちゃ楽しかったです。

それに加えてお客さんを「監督さん」呼びで開演前から終演後まで徹底されたのも私は初めてこちらで聞いたんで、舞台に没入するための世界観構築がすごく丁寧だなと。

 神戸にこんな素敵な劇場があるんだから、冬単もこちらでやりましょう!!!立川とアイアの二択嫌だ!!!って散々言ってましたが結局その二択になりましたね……。

でもアイアに行くなら行くで、ビジュアル違いにはなっちゃうんですけどアイアカフェにあった春から秋の単独ビジュアルとそれぞれのキャストさんのサインボード飾り直して冬も加えて欲しいなって気持ちはあります。(秋単の時にすでに冬のスペースが用意されていたのを見ていたので……)

 

 香川は公演場所として発表されてから、絶対行く!と決めてました。

冬単2020で本来行くはずだった地だったので。

冬組全員揃ってとはいきませんでしたがリベンジさせていただけて嬉しかったし、個人的にも何年振り?レベルの東京以外の会場への遠征でウキウキしていました。

マリンライナー、行きが1階席で柱とかが邪魔だなと思ったので帰りは迷いながらも2階のグリーン席を取ったのですが、ちょうど夕日の時刻に乗ったので広がる海を堪能できたのもいい思い出です。

公演詰め込んだ結果観光は全然できなかったのでまた訪れたい場所でもあります。

海とか水辺があるといくらでも見てられる人間なんですけど、もうちょっと色々な事をやってみたいし訪れてみたい。

 

6月 

 現場は何もない月、最初限定だったもののその後メンバーシップ公開されたのでろくまち納涼祭を見たり、後はアマゲン単独を配信で見たりだったかと。

基本推しがいないと配信でも食指がなかなか動かないタイプなんですけど、カミシモは久しぶりに推しの出演有無関係なく網羅したい作品になってますね。

9月のロングリード単独で頬が痛くなるぐらい笑ったり、2で新コンビに転んだりするんですが、一旦キリがいいので7月以降は②へ続く。

舞台「青の炎」感想(ネタバレしかないバージョン)

・櫛森秀一(北村諒

 若くて優秀な自分への万能感という青さ。

基本的に彼の周りには殺害対象となる2人以外は良い人ばかりなので、彼に思いを寄せる紀子が気にかけて踏み込んでいく姿だったり、妹の遥香が家族で、皆で考える方が絶対良い知恵が浮かぶよと声をかける姿だったり、友人たちとの交流だったり。

踏みとどまれた瞬間は外から見ればいくらでもあったのに、彼は誰にも自身の苦悩も心情も自分以外に吐露しない。

「親切そうな振りして他人を見下してるのが見え見え」だと怒鳴りつけられるのを涼しい顔して聞いている、全くダメージを受けていないけれど、実際は言われてる通りの一面もあるんですよね。

だから手玉に取ってるようで取れていない紀子の行動に振り回されるし、全然自分の言う通りの行動をしない石岡によって上手くいくはずだった(と思い込んでいた)計画は破綻させられるし、ちょっとした言葉の綻びで紀子にも遥香にも自分のしたことを見抜かれてしまう。

 ある種の自滅、周りに自分の弱さを曝け出せないがための暴走。

その根源は確かに母と妹を守る事で一貫しているのだけれど、1度目は外敵の手から「どうしたら家族を守れるのか」だった台詞が、2度目は自分の行いにそのまま返ってくるのが皮肉すぎて悲しい。

後は曽根の時には殺意が燃え上がる起点となった場所が確かにあるのに、石岡の時にパチパチと爆ぜる火の粉の音が聞こえるのは殺害の瞬間だけなので、最終手段だった『殺人』が手段の一つになってしまった感があり、舞台では秀一の葛藤が少ない分そう短絡に考えるようになってしまった事により絶望する。

 秀一視点で進む物語で、彼と情報を共有している客席ではあるけれど彼より一歩外にいる傍観者でもあるので、彼の感情に寄り添うというよりはここで踏みとどまれたんじゃないか、あと一つ何かが違っていたら、と願わずにはいられないと言うか。

このifを考えてしまうのも、原作の秀一が繰り返した夢想のようで、この思考すら舞台と地続きで、一つの作品として完成させるためのピースの一つとすら思えてくる。

 きたむーさん、多分刀ステの初期作品振り? ぐらいに拝見したんですが、10代の青さ、クールな秀一の荒れ狂う感情、一方で起こる静かな変化の表現が的確かつ繊細で。

背中から伝わる殺意、脅迫者である石岡を自分の計画に乗せられたと確信した瞬間の笑み、紀子に背を向けて告げる嘘だ、とその会話で覚悟を決めた瞬間……言葉なしに伝わる感情がはっきりと鮮やか。

 

・福原紀子(飯窪春菜

 秀一にとっての想定外はその行動も、彼女の前でポロッとこぼしてしまった言葉とそれに気づかれてしまった事もだけど、一番は最後の決断に彼女の言葉が決め手になるぐらい大きな存在になった事なんだろうな。

初デート、で灯った炎は小さすぎてその後の青の炎に一度は焼き尽くされてしまったけれど、もっと早く彼女が愛しい、好きだと言えていたらと何度も繰り返す。

気遣いが空回りするところもあるけれど、彼女は彼女なりに精一杯の一生懸命でちゃんと秀一に向き合おうとしていて、だからこそ秀一が誰かに言ってほしいと願っていた一言が心からの願いとして口にできたのかもしれない。

届いてしまった、結果として彼の決意を固めてしまった事は彼女の望みでも何でもなかった事が切ない。

 真っ直ぐな瞳がすごく印象的で、嘘の証言をしたと語られる時にすっと秀一を見つめた後背を向けて戻っていくのも別れに泣き崩れた後涙声のまま語り部に戻る姿が目の力が強い分その揺らぎが悲しい。

舞台装置としての視線は内なる秀一でもあるならば、ちゃんと紀子ちゃんも紀子ちゃんとして秀一の中にいるのにな。

 

・石岡拓也(田中涼星)

 秀一とは違うタイプの、瞬間的に燃え上がる炎だけど持続性はあまりなさそうというか、長期的に影響を考える秀一と比べると短絡的というか。

その分余計にそういうところをうまくやってのけているように見える秀一はムカつくだろうなと思うし、また(家族を)やってみるかって上からの提案じゃなく親友としてただ親身になって話を聞いてもらうだけでも良かったんじゃないかな、と思う。

義父(もはや義父でもないけれど)と実際の血縁という違いはあれど、家庭に問題があるという共通項はあるので。

 脅迫する側、される側はやがて殺人者と被害者に反転するのだけれど、秀一に激昂して見せる姿とは真逆の、その計画にどんどん乗せられていく時の無邪気にすら感じる幼い笑顔は、家族への暴力を唆された1年生の事件がなければ変わらず向けられていたものなのかな、と思うと胸が苦しい。

結局秀一の中では誰も対等な存在じゃなかったんだな……。

(余談ですがここ、金はできたか確認(箱の上に立って秀一を見下ろす石岡)→詳細を説明し出す秀一(二人とも箱の上にしゃがみ込んで同じ高さ)→お前を庇い通すと宣言する秀一(箱に座り込む石岡とそれを見下ろす秀一)のパワーバランスの変化が視覚的にも魅せられてるの美しいな、と思う)

 秀一の視点で進むから石岡の考えていた事の全貌っていうのはわからないわけですけど、襲撃直前自分のナイフの刃を出して見つめる彼は何を思っていたんでしょうね。

ちょっとぐらいは殺人者である秀一を警戒していたのかな、とも思うけど最後に絞り出す、泣き出しそうな声のなんで……? は秀一の計画を信じきっていた感も強い。

警戒しながらも、まさか自分のことを殺すはずがないと秀一の良心を信じていたのかな。

 

 ところで大門を同じ役者に演じさせるの、予想はしてましたけど実際に目の当たりにすると温度差とギャップと演じ分けで、ご本人のファンとしてはめちゃくちゃに美味しいんですけど情緒めちゃくちゃになります。

弁護士の加納先生も演じているので*1、理知的で法律という武器は持っているがそれゆえに縛られて動けなくなる大人・穏やかで優しく人の良い少年・家族に愛されず反発し暴力にしか走れなかった少年がシームレスに切り替わっていく様ときたら。

 普段のご本人が一番近いのは圧倒的に大門くんですけど、私は推しの心の闇とか暗い感情とかを引き出す演技がピカイチだと思ってるので、今回の石岡くんのコンプレックス剥き出しに激昂するシーンとかめちゃくちゃに好きです。

 

 フルフェイスのヘルメットでも被ってくればバレないって秀一は言いますけど、いやスタイルでバレるわ……と思ったのはご愛嬌。

 

・櫛森遥香松永有紗

 可愛い!!!こんな妹、お兄ちゃんそりゃ過保護になる!!!!と納得の存在感。

でも可愛いだけじゃなくて、あれだけ曽根に怯えながらも「お母さんが一人になっちゃう」って心配して早く帰ってくるぐらい、ちゃんと自分で真実と向き合う事もできるぐらい強い子でもあるんですよね。

 重苦しい場面の多い舞台だけど、同級生たちとのシーンと遥香ちゃんとの日常のシーンがホッと息をつける癒しでした。

(同級生たちとの方は、後の同級生からすっと刺す視線に切り替わるところでまた貫かれるんですが)

 遥香ちゃんの「私にだけは本当の事教えて!」と山本警部補の「そんな良い友だちにこれ以上嘘を吐かせていいのか!?」が個人的には一番涙腺にくる。

秀一くんが見落としていたものを、突きつけられる瞬間。

 朗読になると凛々しいお声、インタビューでナイフの鞘を突きつけられる側から秀一に突きつける側への一瞬での切り替わりに震えます。

 

・櫛森友子(田中良子

 優しいけれど決して強くはないお母さん、それでも自分の力で子供たちは守ろうと精一杯だったんだろうな、と思う。

曽根が末期癌である事、お母さんは知ってたんですかね(弁護士への相談をもう少ししたら考える、と濁してる辺り)。

知っていてなんとか嵐をやり過ごそうとしていたならば、押し切られて弁護士を呼んだ結果、秀一が現状を目撃する事になったならやりきれなさすぎて苦いものが込み上げる。

「すべては暴走であり、不必要な努力だったのか」って秀一の言葉の重みがとんでもない事になる。

 お母さんの時はすごく穏やかで優しい、聞いていて安らぐような心地よさすら感じるお声が、朗読だと力強さすら感じるキリッとしたお声になるのに聞き惚れてしまう。

 

・曽根隆司(村田洋二郎)

 舞台版だと紗幕の向こうでお酒を飲む姿が後半(石岡刺殺後)の秀一と重なるのもあって、そもそもお母さんに友達が紹介するぐらいだし元々は優秀だったし人が良かった(それこそ石岡が語る秀一と同じ親切そうな振りだとしても)けど、なんらかの失敗で転がり落ち、悪知恵だけは働く人に成り下がったのかもしれないな、とその過去に思いを馳せたりしました。

いや何であろうとやってる事はクズですし、それこそ五頭竜のように反省したからって許されるものでもないんですけど。

 この舞台の兼ね役してる方皆に言えるんですけど、村田さんが一番あの朗らかな笑顔の店長と憎しみを一身に受ける曽根がイコールで結びつかなくて混乱するレベル。

原作にあった秀一との一触即発の場面があったらとんでもない恐ろしさだっただろうなぁと思うと、あれもこれも改めて舞台で観たくなる。

 

・山本英司(荒木健太朗)

 後半、怒涛に理論的にどんどん秀一を追い詰めていく役回り。

君にアリバイなんてない!! で初めて怒鳴りつけるけれど、その根幹にあるのがこれ以上良い友達に嘘をつかせても良いのか、だったり時間をほしいって言う秀一を認める事だったり。

原作の秀一は割と穿った見方をしている描写もあったけど、アラケンさんの演技では秀一がきちんと自首してくれる事、自殺などせず罪を償ってくれる事を指して「信頼」って言ってるんだなと。

決行した後でも、ギリギリまで秀一に差し出されていた手はあったのに、と思えるのは私がただの傍観者で、彼と家族が浴びることになるものを本当の意味では理解していないからだろうか。

 

 原作を読んでからどうするのか、と思っていたED。

走馬灯のように重なっていくいくつものセリフ、音、全てをつんざくブレーキ音、右に切られていたハンドル……。

 それ以外にも面のない、枠だけの白い箱(これ正式にはなんて呼ぶのが正しいんだろうと舞台99の頃から思ってます)をパズルのように、直近の場面だけでなくさらに先の場面のために動かして演者自身も移動して。

秀一が完全犯罪を成し遂げるために積み上げた数々のように、緻密に組まれて計算されたものはあまりにも美しく、そちらにもすっかり魅せられた。

 今日の千秋楽で物語がとじること、寂しくもどこかホッとした気持ちもある。

それでもあの鮮やかな白と青の世界を、忘れることはきっとないんでしょうね。

 

 

3日の昼夜公演が配信されてます(〜11月10日23時59分まで)

映像ではあの3面舞台の魅力ってどうなるのかな、と思っていましたが映像にする上でも計算・構築されているんだなと感じられましたのでお時間ありましたらぜひともご覧いただきたい。

www.confetti-web.com

 

*1:こっちはアラケンさんが演じられるとばかり思っていたので、公開稽古のお写真でお茶出してる姿に??って大混乱しました。実際そもそもはアラケンさんが演じられるご予定だったそうで納得

舞台「青の炎」感想

文学作品×推しは行かない理由がないです。

 

 というわけでくにおくん舞台振りに新宿で盛大に迷子になりながら、スペース・ゼロへ行ってきました。

チケット発売の頃は一日一公演の日が多くて不思議なスケジュールだな、と思ってたのですが、観て納得しました。

推しがまた俺全編に渡って捌けないかも、と話していたので*1推しの役柄踏まえてもどういう作りになってるんだろう、と思ってましたが一度も捌けないのは推し一人じゃなく出演者全員でした。

 役として板の上に立っていない時も、時に主人公の心情を語り、主人公が感じている情景を読み上げ、主人公の中で燃え爆ぜる炎となりながらも、基本的には舞台の周囲に控えながらじっと主人公(彼だけは控える側に回らない)を見据え続けている。

 この舞台、3面(張り出し)舞台になっているので中心となるステージをぐるっと客席が囲っているのですが、その上で客席通路も使用します。

ただし中心部分は使わず通路の上手端、下手端(会場入り口側)でメインとなるお芝居が行われるので、サイド席であろうとセンターブロックであろうと視線を動かさざるを得ない。

あ、これ私たち客席も今目の前で繰り広げられている物語からは一旦退場し主人公を見つめる視線となっている出演者と同じ、四方八方から主人公を刺す視線の一つになっているのか、と。

 殺人者の心を締め付けるのが単なる事実、人を殺したという記憶であるならば主人公の行った行為、それまでに積み上げたもの、一つ何かがかけ違っていたならばこの選択に至らなかったのではないかと思わされる彼の日常風景、それをまざまざと目の当たりにしてきている。

彼が行う完全犯罪の全貌、原作では大幅に文量を割いて語られる殺害手段やその準備を行いながらの彼の葛藤は描かれない。

代わりに、不安定な積み木を高く高く積み上げるような、後戻りのできないパズルのピースをはめ込んでいくような緊張感が、主人公が薄氷の上を渡るような、細い糸の上を歩くような危うさの共有となる。

 舞台はお客さんがいて完成する、舞台上と客席との共犯関係なんて言われるけれども、息を飲み身じろぎすらためらうあの空間で、私たちは確かに主人公の共犯者であり、同時に見ているしかできない傍観者だ。

 

 

 推しがこの作品を紹介する時に、確か「思考する」って表現があったように記憶してます。

実行する行為ゆえに感情移入や共感をしにくい主人公ではあるんだけれど、彼を見つめ視線で刺し続けることで、全編に渡って彼の視点で物語が進む結果彼が知る情報とタイミングを私たちも共有する事で、もしあそこがああだったら、もっと早く自分を思い続ける人たちにも目を向けられていたら、とか彼のことを思わずにはいられないから「思考する」なんだなと観劇後に感想を噛み締めて腑に落ちてます。

はまってはいけないピースが全部はまってしまったから、どれか一つでも欠けていたら、完全犯罪がボロボロと崩れ出す、空気が抜けていくようなあの音がもっと早く聞こえていたらと願わずにはいられない。

 

 当日引換券・当日券がある公演もありますし、3日昼夜公演にて配信があります。

 

www.confetti-web.com

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舞台を観てこう感じた事が映像ではどう映るのか、どう感じるのか楽しみに開演を待っています。

 

 

*1:Oh My Diner1作目本編で全く捌けず舞台の上に立ち続けたので2回目

【田中涼星くん】無数に輝く光の中、私にとっての一等星

ここ何年か、毎年の目標に『言語化をさぼらない』があるので、せっかく作った場所ですし。

特別お題「わたしの推し(スター)」に参加してみようということで。

推し、だけならまだしも(スター)のルビを振られてしまったら、語らずにはいられますかと。

 

「推し」について

 

noreplyneededto-wordsoflove.hatenablog.jp

そもそもこちらの記事でも「推し」という単語を使いつつもダイレクトに作品について、それも主演と明言しているので隠す気はまるでありません。

twitter.com

https://www.instagram.com/ryosei_tanaka1224/

直近の出演作と

www.ntv.co.jp

2022年最初のお仕事

fireforce-stage.com

お手紙書いてても思うんですけど、お名前出して呼ぶの照れくさいみたいなところないですか?

そういう意味では「推し」って便利な単語だなと使ってます。

便利過ぎて、エゴサに引っ掛かりたい時はお名前出すようにしようと思ってるのに忘れがちです。

 

初観劇の日の話

 忘れもしない2015年2月。

当時は別の役者さんを推していたものの、参加したイベントで今年は映像中心という話を聞きました。

私は観劇が趣味、というより推しが出ている作品を観に行く、というスタイルだったので、この機会に推しが出てない色々な舞台に触れて見識を増やすというか、舞台作品への理解を深める土台作りをするのもいいかもなぁとチケットサイトを眺めていて。

じゃあ観ようと浮かんだ作品の一つが「ミュージカル『テニスの王子様』青学vs不動峰」(以下テニミュ)でした。*1

 

 テニミュはブログやTwitterの更新が活発なのでちょこちょこ見ているうちに、私の好きなキャラを演じてる役者さんが気になるな、多分これ好きなタイプだな、と思っていたのです。

しかしいざ観劇前に友人にその事を話したら、君こっちだと思うよ、と別のキャラの名前を上げられて。

実際に観てみたら、彼女の言う通り彼から目が離せなくなりました。

それが田中涼星くん演じる、8代目の乾先輩です。

 普段わりとあ、好きかな、好きかもとじわじわゆっくり落ちていくタイプだったのでここまでの急転直下、一目惚れと言っても過言じゃない視線の奪われ方初めてで。

自分でも衝撃を受けながら元々1枚しかもっていなかったチケットをぽちぽち増やしたり、すでに決まっていた次公演*2のチケットを取る算段を始めたりしました。

でもここではまだ、好きなのは「青学8代目の乾先輩」だったんですよね。

 テニミュの青学キャストはシーズン中に代替わり、卒業が来ます。

その時までの期間限定、ちょっとした浮気だよなんて笑ったりしていました。

もしちょっと卒業後の作品追ったりするにしても、やっぱり最初に気になった役者さんの方じゃないかな、なんて思いながら。

 

このまま彼を推すかもしれない、と揺らいだ日の話

 3rdシーズンのテニミュ(私が追っていた8代目の頃)は、DVD発売時に記念で何か所かに分かれて縦断イベントが行われていました。

不動峰の時は大阪だから、という理由で行ったら現推しもいた、なんですがいいお兄さんしてたなー、サーブかっこいいから本当ランキング戦まではやってね……!!!!な印象でした。

 2回目のイベントになったルドルフでは大阪→愛知と1日で縦断するスケジュール。

この頃には青学8代目箱推し!になっていた私はキャストが縦断できるなら私も縦断できるよね? と円盤を2枚買ってはしごしたら。

そこにはめちゃくちゃ面白い子がいました。

 そもそもこのイベントと同時期に発売した「バラエティスマッシュ!」

バラエティスマッシュ! CM Long - YouTube

で頭のてっぺんからつま先まで好きなスタイルだったり、あれもしかしてこの子面白い子では?って片鱗はあったんですけど。

不動峰の時は年下組と一緒だったのでお兄さんの顔が強かったのが、今回は同年代組だったからか、それともイベントそのものに慣れて伸び伸びと自分を出せるようになられたのか。

イベントが終わって帰りの列車に乗ってもじわじわ、じわじわ面白い子だったな、楽しいイベントだったな……と噛みしめてて、ここが好き、の向かう先が「8代目青学の乾先輩」から「田中涼星くん」へシフトする転換点だったと思います。

 でもまだ「推し」とは呼んでません。

自分のキャパシティ的に「推し」と呼べる存在を同時に複数抱える事はできないので、彼を「推し」と呼ぶことは当時「推し」と呼んでいた人を降りる、端的に言えば「推し変」と同義です。

そこまでの決断には、まだ至っていませんでいた。

 

「推し」と認めた日の話

 涼星くんが関東氷帝公演でテニミュを卒業し次に出演される舞台(ミュージカル青春鉄道2、以下鉄ミュ)の神戸公演を控えているタイミングで、当時推しと呼んでいた人の出演する舞台の大阪公演がありました。

もうオブラートに包まず書きますが、それがもう本っっっっ当につまらなかった。

登場人物が板の上で涙涙のシーン、周りからすすり泣く声も聞こえてくるけど何一つ泣けなかった。

ちょうど大千秋楽だったのでスタオベがあったけど、何を讃えればいいのかわからなかった、いや役者の演技は讃えていいのかもしれないですけども。*3

作品が決定的に合わなかった、それはこの作品だけでなく事務所制作とかこれまでの出演作品でもあった、そもそも今回の主催にも苦手意識が芽生えたし、当時の推しの事務所は結構前から好きじゃなかった。

少しずつ少しずつ積み重なっていた不満や齟齬は、もう見て見ぬ振りができなかった。

だって私は応援する事ってこんなに楽しくていいことだったんだ、と浮気だったはずのこれまでで思い出してしまった。

 そうして迎えた鉄ミュ2。

東京公演を観た方からことごとく死の宣告をされていた通り、怒涛の楽しいと好き、をめいっぱい浴びて。

こちらの大千秋楽を見届けたその日、2016年11月20日、私は彼を「推し」と呼ぶことを心に決めました。

 

彼が私の「推し」です、と心に決めて5年が過ぎた今の話

 推し変、をするにあたって自分と約束した事があります。

それが、出演する作品やイベントの全部を楽しいと思えなくてもいいし、作品を網羅しなくてもいいって事。

そのために、今までの公演は全部観てるし、と意地にならなくていいようわりと早い段階で一作品遠征しない事を選択しました。

したんですけど、5年経った今も何だかんだこれは無理ってなったのって本当1作品だけ*4でここまで来てるんだから、幸せな事だなと思います。

 いつ飽きるかな、とか、一度違えた以上「ずっと」応援してます、だけは言えないなと思いながらも、気づけば彼を「推し」として応援してから5年以上の歳月が過ぎて。

まだまだ新鮮に楽しいし、舞台の上にいるとやっぱり視線を奪われています。

 

 世は正に若手俳優戦国時代、なんてふざけて言っていた時期もあるんですが、その時以上にたくさんの魅力的な方々が舞台の上に立っていて。

そもそも作品だってたくさんあって。

その中で一つ選んだ作品でこんなにも惹かれる人をみつけるってどんな確率なんだろう。

そもそも2015年2月のあの日、当時の推しが映像中心ですって言わなければ。

じゃあ他の舞台も観に行こうかなってテニミュを選んでいなければ。

今こうしている私はいなかったんだろうな、と思うとこういうのも一つ一つの選択の先にある不思議な縁だな、と思います。

 閑話休題

演技が上手い人、歌が上手い人、目を引く華がある人、魅力たっぷりな人……数えきれないぐらいの人の中で、それでも私は彼を応援していきたい。

どこが好きって言われたら全部って言いがちなんですけど、あえて挙げるなら繊細さと真摯さ、でしょうか。

 指先まで意識の行き届いた、感情のこもった演技やダンスだけでなく言葉選びがものすごく丁寧なんですね。

マネージャーさんにボキャブラリー増やして欲しい*5と言われたり、たまに単語選びが怪しかったりはするんですが、とっさに発する発言にせよ綴られる文章にせよ、配慮が行き届いてるんですよね。

思いや気遣いがそのまま言葉に乗る、と言いますか。

その一端はなかなか自分のファンをファンと呼んでくれず、長い事「応援してくださる皆さん」表記だったりでヤキモキした事もあるんですが、その分初めて「ファンの皆へ」って呼びかけてくれた時の感動もひとしおだったり。

 前のブログで書いた通り、私は推しに手紙を書く事とかコメント残す事ってすごく苦手で。

それでも「推し」と呼ぶと決めてからとんでもないスローペースでもたまにさぼっちゃっても、何とか書き続けていられるのは折に触れてきちんと届いてる事とかファンへの思いとかちゃんと言葉にしてくれるからだろうな、と何度も何度も実感してます。

 

 私はただ「推し」にもらえる楽しいとか幸せとかをただ享受するだけの無責任なファンだけど、どれだけ大きな会場の最後尾とかからでもその光を見つめていたいなと。

全ての願いも夢も、叶うわけじゃない。

それでもどうか「推し」が幸せでありますようにと、良いご縁がつながり続けますように、とそれこそ星に宛ててのように祈るだけです。

 

 

 

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*1:そもそも観劇に通うようになったきっかけとなったのがこの作品の1stシーズンで、当時の推しさんも1stキャストさんでした。

その後紆余曲折を経てテニミュからは距離を置いた時期もありましたが、長くなるので割愛します。

2ndシーズン終了時には好意的に見られるようになっていたのが、当時の推しさんの映像中心な1年という事で観劇に行くのに背中を押された形です

*2:TeamLive青学

*3:前の方だったので周りに合わせて立ちましたが、立ったことを今でも後悔しているレベルです

*4:こっちはさすがに伏せます

*5:

マネージャーは田中涼星に言いたい事が山ほどある - YouTube

「推し」を応援する全ての人へ~舞台「99」感想~

 

 こんなブログタイトルにしておきながら、いわゆる「推し」に手紙を書いたりコメントなりリプを送ったり、という行為が未だに苦手だ。
何せ相手の反応が見えない、知る手段もない。
返事だとか個レスが欲しい、というのとは少し違う。

 この感想、ものすごく的外れな事を言ってるかもしれない。
 こういう表現されるの、嫌かもしれない。

 そういう不安が手紙を出す前、送信ボタンを押す前、いつも渦巻いている。
とは言えそもそも実際問題、私はこう見せたいとお出しされている「推し」しか知らないわけで。
対面で伝えて不快に思われてたとしても、役者である推しは顔にも態度にも出さないだろうから結局はわからないのだけど。

 それでも今の推しには、そこそこ早い段階からずっと手紙を書いたりコメントを送ったり、という事を続けている。

『あなたを応援しています』
『こういうところが好きです』
『あなたに救われたんです』
『あなたの頑張る姿に励まされて、たくさんの幸せと力をもらっています』

 集約してしまえばこの辺りに全て帰結する話を、表現に迷いに迷って何ヶ月前の作品の感想を今送ってるの、と自分でツッコミを入れながら。
推し自身が節目節目(個人イベントなど)で思いを丁寧に丁寧に言葉にしてくれるのもあって、両手では抱えきれないぐらいもらってしまう幸せを少しでも、応援という形で返せたら、の思いで言葉を綴っている。

 

 そんな日々の中、2021年4月に観劇した推しの初主演舞台「99」(ナインティナイン)。
ファンになってからずっと0番に立つ推しを観たい、と夢見てきて。
2018年の2.5次元男子放送部出演の際の入部届(だったかな、現在消えてしまって見れません)に夢を「主演」と書かれたから、同じ夢を見られることに嬉しくなってしまって。
劇中劇での主演(MANKAISTAGE A3!WINTER2020)、W主演(狂言男師~春の章~)を経て、ときれいにステップ踏んでるの相変わらずストーリー性が高すぎませんか*1、と思ったりしながら足を運んだ博品館劇場。

 もう作品としてもめちゃくちゃ面白くて、楽しくて。
これだけ素晴らしい作品の真ん中に主演として推しが立ってるって幸せが過ぎる!と観劇すると同時に、作品中でものすごく『ファンとして推しを応援する事』が肯定されて、そうする事によって推しに届く力の描写に、「こんなに肯定されていいんですか?」と戸惑うレベル。
 幸福が過ぎるとキャパオーバー起こすよね、それぐらい『推しを全力で応援する事』への賛歌と言っても過言じゃないと思った。

 

 舞台「99」の主人公は、「中学生刑事」で天才子役として一世を風靡したものの成長してからは鳴かず飛ばずになってしまった映画スター、神木坂つばさ。
記憶から消えかけていた彼の名前は、再び世間に知れ渡った。
役者としてではなく、とある傷害事件の犯人、犯罪者として。
「囚人番号99番」となり収監されたつばさは、刑務所内でも変わらぬ真っ直ぐな純粋さやそのスター性で担当刑務官や囚人たちの心を引き付けていく。
そんな最中、つばさは冤罪ではないのかと疑惑が持ち上がり……、というのがざっくりとしたあらすじだが、今回スポットを当てるのはつばさの担当となる刑務官・黒澤。

 囚人たちを生きてても何の価値もない、社会のクズと罵り、必要なのは指導ではなく粛正と言い切る鬼刑務官。
人間の心を持たない悪魔のような男、と言われるまでに歪んだ正義感を貫いていた彼の人生は、囚人番号99番となったつばさが刑務所に現れた事で一変する。
 何せ黒澤は、つばさが「中学生刑事」で演じた“ほしかげひかり”のキメ台詞や名乗りを完コピして満足げににやけてしまうような熱烈なファン。
そう、私と同じ「推し」の「オタク」だ。

・推しの出演作品のタイトルやキメ台詞を間違えられると、大音量で訂正。
・推しに握手を求めれば手が震えるし、口を開かせる隙なく自分だけ矢継ぎ早にしゃべってしまう。
・推しの出演作を好きだと話す囚人を同士と認識して贔屓する。
・推しがちょっとした刑務作業(箱を横に倒す)ができただけでべた褒めする。
・刑務作業中の推しの一挙手一投足を録画
・推しの録画に日々の成長を感じて感極まる。
・一番好きだろう中学生刑事でのキメ台詞を演じる推しを目の当たりにして『生きてて良かった……』と泣き出す。

 これは黒澤のオタク的行動列挙だが、あるあるある……となる方は多いと思う。
個人的には最後に関して、今回夢見ていた推しの主演舞台を観られて泣く自分とあまりにも一致しすぎていた。

 

 最初は彼に粛正されると聞いたのと、推しの姿を見たいけど真っ直ぐにはみつめられずに周囲をうろうろしてのぞきみたりする姿の挙動不審さでつばさ本人に怯えられたり、いじめられていると勘違いされて、自分はあなたの味方だ、もう一度あなたを銀幕の世界に戻すなんて言葉が届かなかったり。
つばさの熱狂的なファンという顔を周囲には隠し、推しに気安く声をかけたり握手を求めたりする囚人たちを許さない事の言い訳に、今は芸能人ではなく犯罪者、人間のクズと言わざるをえなかったりして推しの心を傷つけ泣かせてしまう。
 しかし推しと過ごす3ヶ月の間に黒澤は変わる。
 囚人たちをクソ野郎ども! と呼ぶのはそのままだが、推しと囚人たちの触れ合いを生きる希望を取り戻す要因として許すようになったり、受刑者の社会復帰のために幅広い教育を行うという大義名分で、明らかにつばさ向けに刑務作業に発声やダンスなどを組み込んで全てできないと生き残れないぞ!と叱咤激励する。
 すべては推しをもう一度銀幕の世界に戻すために。
黒澤の行動は全て推しの応援に帰結し、そのために全力を尽くす。
その変化はつばさに対してに留まらず囚人たちにも、お前たちにも未来はあるんだから、と相変わらず口は悪いが思いやるようになるレベルで。
彼の人生は、1度目は暗い学生生活を送っていた頃に見た銀幕の世界のつばさの光に、そして2度目は囚人番号99番として現れたつばさの光によって、その道筋を照らされたのである。

 

 そしてこの黒澤の思いは、決して一方通行なものではない。
自分はもはや犯罪者だという現実を改めて突きつけられ、絶望に沈むつばさに一筋の光を照らすのは、刑務官ではなく一人の人間として目の前のつばさ、99番に向き合って必死に紡がれる黒澤の言葉だ。

もう一度銀幕の中で輝く姿が見たい。
映画の中で頑張っているつばさを見ると自分も頑張ろうと思えた。
君は人生を照らした、私にとっての光だ。

 全力で自分の事を応援している黒澤の心からの言葉につばさの心もほろりと溶け、誰にも信じてもらえず口をつぐむしかなかった真実を吐露したことでようやく冤罪の可能性が浮かび上がる。
その後つばさの冤罪を疑っていた記者の協力を取り付けた黒澤は、つばさの復帰に向けて手を尽くし、ついに失意の底にいたつばさにもう一度映画に出る、スクリーンの中に戻るという希望を取り戻させた。
 推しに力をもらった、人生を明るい方向へ変えられたオタクの応援が、推しの道を照らす光にもなったのだ。

 

 私は刑務官でもない。
当然冤罪をかぶって刑務所に入れられる推しとは出会わない。*2
 状況はまるで違う、それでもこんなにも丁寧に精一杯推しを応援するオタクの姿と、そのオタクに救われる推しの姿を描かれると、自分が抱いている推しへの応援の気持ちも肯定というか祝福というか、をされた気分だった。

 黒澤も最初から上手く推しに応援を届けられたわけではない。
憧れの神木坂つばさ、ではなく目の前にいる囚人番号99番*3、として見つめだしただろう事が一つのきっかけであるのならば。
遠い存在ではあるけれどちゃんとそこにいる、一人の人間として向き合って言葉を紡げば、この応援はちゃんと届ける事ができると思ってもいいのかな、と。
冒頭で抱いていたような不安が、少し軽くなった。

 

 この作品のEDで披露される一曲、『君はスター』。

サビのフレーズは2種類ある。

(劇中歌映像はラストのみのため確認できるのは②のみ)

①君はスター "僕"のスター
②君はスター "俺"のスター

 作中、"俺"は黒澤を始め他の囚人たちも主な一人称として使うが、"僕"を一人称として使うのはつばさただ一人。
双方向に照らしあう応援する存在と応援される存在が表現されているように感じて、あそこまで眩い光でなくても、少しでも推しの心に届けられるものがあるのならば。
その思いで、今日も私は言葉を綴る。

 

舞台「99」あらすじ・演出等完全なるネタバレを含む対談

youtu.be


ゲネプロ記事:
スマートボーイズさん

sumabo.jp


2.5次元!!さん

25jigen.jp


初日ダイジェスト映像

 

つばさソロダイジェスト映像

舞台「99」公式サイト:BARREL Produce |

*4

 

<余談・作中外の話>
①つばさを演じた推しの夏イベントでの話
 黒澤からつばさに対して君は私の光だ、という事は明言されるがつばさから黒澤に対しての明言はない(視線、感謝の言葉、諸々ではもちろん感じられる)。
 明言はないが推しのイベントにて、つばさが黒澤から光をもらっている事を自分とファンの持ちつ持たれつに置き換えて、元気ない時に俺もみんなの応援で力もらったり、なんて発言が出てきてもったいない言葉過ぎて客席で崩れ落ちるところだった。
冒頭にも書いたけど本当に折に触れて、応援に対する思いを言葉にしてもらってしまっているので、少しでもお返しできたらいいな、の思いでまた応援を綴るという素敵な循環を作っていただいているな、と感謝の気持ちしかない。
 今感想貯めに貯めている上怒涛に情報解禁が来ておぼれてますが。

 

②黒澤を演じた稲垣さんの配信イベントでの話
 これだけ黒澤を推しのオタクでありあまりにも私たち、という表現で語っているし、実際稲垣さんもオタクの再現度についてファンレターによく書かれていたとのことだったのに、ご本人が「黒澤をオタクとは思ってなくて」と発された衝撃。
実際「好き、のレベルを上げた感じ(結果オタクっぽくなった)」というお話で、ト書きや演出でそう見える部分もあれど、何というか、オタクとしての自分もちゃんと対象への『好き!』を真っ直ぐに純粋に届けていける存在であれたら、となんだか身の引き締まる思いだった。

 

*1:新潟出身&名前に星、田中姓で新潟の星と言われる上越新幹線役を演じる、鉄ミュ2の大千秋楽で新潟に連れて行きます! と宣言して3で実際に新潟公演が実現、新潟のローカル番組で密着取材を受けた際、地元でお友達との撮影中に虹がかかるetc...

*2:完全なる余談だが推しは冤罪で実刑判決がくだる役は2回目である

*3:黒澤がつばさに対して『光』という表現を使う場面は2回ある。1度目は過去の話をする前述のシーン、そして2度目はつばさの冤罪を晴らすため、他の囚人たちに協力を依頼するシーン。どちらも『君』は、『99番』は、という表現が使われており、『神木坂さん』と呼んでいた初期との変化が感じられる。この辺りの台本の上手さもいずれ感想を書きたい

*4:Twitterに上がってるものが多いので自分の備忘録もかねてのリンク